黒い交際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 05:29 UTC 版)
「マザー・テレサに対する批判」の記事における「黒い交際」の解説
1981年、テレサはハイチを訪れ、独裁的な政治家ジャン=クロード・デュヴァリエからレジオン・ドヌール勲章を受けとっている。 『宣教師の立場』において、ヒッチェンズはアルバニアのエンヴェル・ホッジャ政権をテレサが支持していたとして、デュヴァリエとの交際と同じく批判している。テレサは1989年8月にアルバニアを訪れており、そこでホッジャの未亡人であるネジミエをはじめ当時のアルバニア首脳や政府要人から歓迎を受けた。その後テレサはホッジャの墓に花束をそなえ、マザー・アルバニア像に花冠を飾っている。 テレサはイギリスのメディア王として知られたロバート・マクスウェルからも資金提供を受けている[要出典](彼は後に暴かれたように、従業員の年金基金から4億5000万ポンドを着服していたことで知られる)。チャールズ・キーティングが事業で失敗した後に詐欺事件で起訴されたとき、キーティングの人柄を擁護する陳述書がテレサの名で作成されたことにも批判が集まった。キーティングはマザー・テレサに数百万ドルの寄付を行っており、彼女がアメリカを訪れる際には自分のプライベートジェット機を貸し出すことまでしていた、 テレサはリーチオ・ジェッリがノーベル文学賞にノミネートされたときに支持を行った[要出典]。ジェッリは、フリーメイソンのロッジ(支部)であるプロパガンダ・デューの創設者であり、イタリアにおける複数の殺人や汚職事件との関与が指摘されるだけでなく、ネオファシスト的なイタリア社会運動やアルゼンチンの軍事政権との強い結びつきで知られている。
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