髙橋朋己とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 髙橋朋己の意味・解説 

髙橋朋己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 14:12 UTC 版)

髙橋 朋己
選手時代
(2015年6月13日、西武プリンスドームにて)
基本情報
国籍 日本
出身地 静岡県三島市
生年月日 (1988-11-16) 1988年11月16日(36歳)
身長
体重
174 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト4位
初出場 2013年8月15日
最終出場 2018年3月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

髙橋 朋己(たかはし ともみ、1988年11月16日 - )は、静岡県三島市出身[1]の元プロ野球選手投手)、野球解説者。左投左打。実姉はフリーアナウンサー髙橋早紀[2]

経歴

プロ入り前

三島市立中郷小学校2年生の時に「中郷ファイターズ」で野球を始め、当時は野手だった。三島市立中郷西中学校時代は「三島田方リトルシニア」で投手としてプレーした[1]

加藤学園高等学校では2年生の時に背番号「1」を背負うものの、3年生時では主に一塁手で夏には救援投手を務めた。怪我の影響もあってエースにはなれず、球速も最速129km/hに留まった。甲子園出場経験は無い。一方で大学に向けて練習していた際に、当時の監督から腹筋と背筋を鍛えるために命じられた薪割によって筋力がアップした[1]

岐阜聖徳学園大学1年生の時に東海地区大学野球・春季リーグ戦に登板[1]、3年生時の春に最優秀投手賞を受賞した[3]。大学時代の同期には井上公志がいた。

大学卒業後、西濃運輸に入社し、1年目に第82回都市対抗野球大会の2回戦・対JR東日本東北戦の9回一死で救援登板し、1回1/3を投げ自責点1で敗戦投手になった[4][5]。2年目の第83回都市対抗野球大会では王子製紙の補強選手に選ばれ[6]、1回戦・対JR東日本戦に3番手で救援登板し、4回2/3を投げ自責点0だった[7]。その後9月に肩を痛めたため、第38回社会人野球日本選手権大会には出場しなかった[1]。なお、社会人時代のチームメイトには小豆畑眞也がいた。

2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議埼玉西武ライオンズに4巡目で指名され[8]、契約金4000万円、年俸1000万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[9]。背番号は「43[10]。なお、加藤学園高校出身者では初のプロ入りとなった[1]

現役時代

2013年は左肩のリハビリを行った[11]。8月15日に一軍登録され[12]、同日の対福岡ソフトバンクホークス戦の6回にプロ初登板し、2/3回を投げ1失点だった[13][14]。31日の対オリックス・バファローズ戦では同点の5回途中に救援登板し、1/3回を投げ無失点で初ホールドを挙げた[15]。シーズン最終戦となった10月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦では6回途中で救援登板し、1回2/3を投げ無失点で初勝利を挙げ、それと同時に13試合連続無失点を記録した[16]

2014年は開幕一軍入りを果たし[17]、シーズン途中で抑え投手に指名され[18]、4月19日の対オリックス戦でプロ初セーブを挙げた[19][20]。25日のソフトバンク戦から無失点で5試合連続セーブを記録した[21]。この年、チーム最多の29セーブとチーム3位の13ホールドを挙げた[22][注釈 1]。同リーグの新人王争いではプロ1年目の石川歩(ロッテ)の後塵を拝したものの、記者投票での得票数は1位の石川に次いで多かった[23]。シーズンオフの10月9日には日米野球2014日本代表に選出された[24]。同大会では第2戦と第5戦でそれぞれ1回ずつを投げ無失点だった[25][26]

2015年は開幕前から新加入のミゲル・メヒアとクローザーの座を競っていたが、オープン戦の結果によりミゲルが二軍へ降格した為、開幕からクローザーに抜擢された[27]。3月27日からのオリックスとの開幕3連戦で、プロ野球史上初となる開幕3戦での3試合連続セーブを挙げると[28]、31日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でもセーブを挙げ、開幕からの連続試合セーブの日本記録を4に伸ばした[29]。なお、登板5試合目となった4月5日の対ソフトバンク戦ではセーブはつかず、記録は途切れた[30]。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[31]。監督選抜によりオールスターゲームのメンバーに選ばれ、7月18日に行われた第2戦において8回裏に6番手で登板し、1回を投げ1失点だった[32][33]。しかし7月は8試合に登板したが、その内6試合で失点し、3失点で2敗目を喫した25日の対北海道日本ハムファイターズ戦の試合後には「投げることが怖い」と話した[34]。同月下旬に中継ぎに配置転換され[35]、8月6日の対楽天戦では先発から抑えに配置転換された牧田和久がセーブを挙げた[36]。牧田が27日の対日本ハム戦で先発に戻ったことで再び抑えを任され、28日の対楽天戦で7月7日以来のセーブを挙げた[35][37]。しかし、9月23日の対オリックス戦では8回に登板したが、打球を処理しようとした際に右足を捻って倒れ負傷交代し[38][39]、25日に出場選手登録を抹消されたが[40]、同日に行われた検査で右足の腓骨を骨折していたことが分かり、全治2 - 3か月と発表された[41]。9月10日には第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表されていたが[42]、この骨折により同大会への出場も事実上不可能になった[41]

2016年は開幕を一軍で迎えたが[43]、左肘の張りにより4月22日に出場選手登録を抹消された[44][45]。その後、左肘内側側副靭帯の再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、成功したことが7月26日に発表された[46]

2017年6月3日、二軍での対横浜DeNAベイスターズ戦の9回に救援登板し、1回を投げ無失点の成績で前年の手術からの実戦復帰を果たした[47]。シーズン終盤の9月30日は一軍登録され[48]、一軍では3試合に登板した。

2018年オープン戦では、6試合で4回と2/3を投げ無失点と左肘の手術から復活をアピールし[49]、2年ぶりに開幕を一軍で迎えた。しかし、シーズン初登板の3月31日の対北海道日本ハムファイターズ戦で左肩に違和感を訴えて一死もとれずに降板し、翌日には出場選手登録を抹消された[50]。左肩関節痛の影響でその後は一軍、二軍とも登板することなくシーズンを終えた。10月29日、球団より翌年の契約を結ばない旨が通告されたが[51]、その際に併せて報道されていた通り、11月14日に育成選手として再契約した[52]。背番号は「123」になったが、球団は髙橋の復帰を期して元の背番号「43」を空き番にした[52]

2019年は1月にキャッチボールを再開し[53]、ブルペンでの投球は続けていたが、この年のシーズン中に実戦登板は果たせなかった[54]。秋季教育リーグのみやざきフェニックス・リーグに参加し、10月28日の韓国斗山ベアーズ戦で約1年半ぶりの実戦復帰を果たし、その後は秋季キャンプにも参加した。なお、育成選手制度に従い、10月31日に自由契約公示されたが、育成選手として再度契約している[55]。再契約の際、ゼネラルマネージャー(GM)の渡辺久信からは「(元の背番号の)43番はお前のためにとっておいてある」と再起を期待され、髙橋本人も「いわれてうれしかった。もう一回でいいからつけたい」と奮起した[56][57]

しかし、2020年も二軍公式戦への登板を果たせない日々が続き、8月に打撃投手を務めた際にも強い痛みを覚えたことも切っ掛けに[58]、10月20日、現役引退を表明した[57][59]。同日の引退会見にて、10月30日の対読売ジャイアンツ・ファーム最終戦(CAR3219フィールド)、9回に打者1人相手に引退登板する予定であることが発表されたが、現状について「ホームベースに届くかもわからない」と明かした[58]。迎えた10月30日のファーム公式戦は予定通り、9回無死、2対2の同点の場面で登板。登板時には家族やGMの渡辺の他、隣接するメットライフドームで試合を控えていた一軍投手陣らも練習を一時中断して髙橋の登板を見守りに来ていた。このことを知った髙橋はブルペンでずっと泣いていたという[60]。マウンドに上がる際には支配下登録時代の背番号「43」がコールされ[60]、二軍戦では異例の登場曲も流された[61]イスラエル・モタ相手にストライクゾーンへの106km/hの直球を投げ込むと、その1球でショートフライに打ち取り、現役最後の登板を締め括った[62]。試合後は二軍監督の松井稼頭央に促され、マウンド付近で10度胴上げされた[63]。最終登板の際も「(全盛期を100とすると)マイナス100」というレベルで肩の調子が非常に悪く、鎮痛剤を飲んで当日に臨み、試合前に同級生のファーム・育成グループスタッフである大石達也[64]キャッチボールを行った際は大丈夫だったものの、ブルペンでは捕手を座らせて投げることができない状態だった。モタに投げた1球の際、「投げた瞬間に(肩が)バコッていった」という危ない状態で、「1球で終わって良かったなって。三振は取りたかったですけどね、正直」と振り返っている[60]。試合翌日には西武の公式YouTubeチャンネルに髙橋の選手最後の1日に密着した動画が投稿された[65]

引退後

引退後は球団に残り、アカデミーのコーチとして野球少年たちの指導にあたる[66]。その傍らフジテレビTWOの野球解説者としても並行して活動する。

プレースタイル

  • 投球フォームはサイドスローに近いスリークォーター[67]、直球は140km/h台中盤から後半(プロ3年目現在)[18][68]、変化球はスライダースプリットなどを投げる[68]。2015年開幕前の春季キャンプではシンカーの習得を目指した[69]
  • 野球人生は「太く短く」が目標だと髙橋本人は語っている[70]。引退会見時、髙橋は「8年間、プロ野球選手としては短い時間でしたが、すごく濃い、いい時間を過ごすことができました。球団からは、リハビリで苦しいなか、変わらずいろんな選手と接してくれてありがとう、と言ってもらえたのがうれしかったです。腐らずやってきてよかったと思えました」と述べている[58]

人物

  • 漫画が好きで、髙橋の自宅にはおよそ500冊を収めた「漫画部屋」があり、入団時の入寮の際にはそのうち200冊を持参した[71][72]。また、2年目のシーズンオフには昇給した分で漫画を大人買いしたいと語った[71]
  • 現役時代、登場曲にE-girlsの「Follow Me」を起用しており、サビの「Follow Me」の部分を「TOMO Me」で合唱する応援スタイルが西武ファンの間で確立されていた[73]。この縁もあり2015年7月3日の西武プリンスドームで行われた埼玉西武ライオンズ対千葉ロッテマリーンズ戦の試合では、E-girlsから初のソロデビューとなったDream Amiのソロデビュー曲「ドレスを脱いだシンデレラ」のPRのための始球式で捕手を務めた[73]
  • 約2年の遠距離恋愛の末、2014年12月17日に一般人女性と結婚[21]。2015年9月に第一子(長女)が[74]、2018年1月に第二子(長男)が誕生している[75]
  • プロ入り後、母校の加藤学園高等学校に移動式ネットを寄付しており、野球環境整備に協力している[76]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2013 西武 24 0 0 0 0 1 0 0 10 1.000 77 18.2 10 1 11 0 1 28 1 0 7 7 3.38 1.13
2014 63 0 0 0 0 2 1 29 13 .667 258 62.2 47 2 24 2 1 80 3 0 15 14 2.01 1.13
2015 62 0 0 0 0 2 3 22 14 .400 264 61.2 49 3 26 1 5 55 2 0 21 20 2.92 1.22
2016 7 0 0 0 0 1 0 1 3 1.000 23 5.1 5 0 3 0 0 2 0 0 1 1 1.69 1.50
2017 3 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 13 2.2 3 1 2 0 0 2 0 0 2 2 6.75 1.88
2018 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 2 0.0 1 0 1 0 0 0 1 0 2 2 ---- ----
通算:6年 160 0 0 0 0 6 5 52 40 .545 637 151.0 115 7 67 3 7 167 7 0 48 46 2.74 1.21

年度別守備成績



投手












2013 西武 24 1 2 0 0 1.000
2014 63 1 9 0 1 1.000
2015 62 3 11 0 0 1.000
2016 7 0 2 0 0 1.000
2017 3 0 0 0 0 ----
2018 1 0 0 0 0 ----
通算 160 5 24 0 1 1.000

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 43(2013年[10] - 2018年)
  • 123(2019年[52] - 2020年)

登場曲

脚注

注釈

  1. ^ パ・リーグの日本人左腕では2004年、当時福岡ダイエーホークスの三瀬幸司以来10年ぶりに25セーブ以上を記録した。

出典

  1. ^ a b c d e f 西武ドラ4高橋 投手の基礎はまき割りで」『日刊スポーツ』2012年11月1日。2025年3月8日閲覧
  2. ^ 西武ライオンズ 高橋朋己」『サキちゃんねる。~フリーアナウンサー高橋早紀のブログ~』2013年8月22日。2016年11月15日閲覧
  3. ^ 「別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2013」 宝島社発行 129頁
  4. ^ 2013年度西武ライオンズ選手名鑑 43 高橋 朋己(たかはし・ともみ)」『スポニチ Sponichi Annex』。2025年3月8日閲覧
  5. ^ [第82回 都市対抗 本大会 10月29日 京セラドーム大阪 第1試合 2回戦] 公益財団法人 日本野球連盟
  6. ^ 第83回都市対抗野球大会補強選手一覧 (PDF)」『公益財団法人 日本野球連盟』。2025年3月8日閲覧
  7. ^ 第83回 都市対抗 本大会 7月13日 東京ドーム 第1試合 1回戦 公益財団法人 日本野球連盟
  8. ^ 2012年ドラフト会議 全指名選手」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』2012年11月13日。2025年3月8日閲覧
  9. ^ 西武 西濃運輸・高橋と入団合意」『スポニチ Sponichi Annex』2012年11月15日。2025年3月8日閲覧
  10. ^ a b 2012ドラフト指名選手 入団発表会!」『埼玉西武ライオンズ』2012年12月13日。2025年3月8日閲覧
  11. ^ 【西武】新人選手が雪合戦、標的は…」『日刊スポーツ』2013年1月15日。2025年3月8日閲覧
  12. ^ 公示(出場選手登録・抹消)」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  13. ^ 【西武】ドラ4位高橋、ほろ苦プロ初登板」『日刊スポーツ』2013年8月15日。2025年3月8日閲覧
  14. ^ 2013年8月15日 埼玉西武 対 福岡ソフトバンク 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  15. ^ 2013年8月31日 埼玉西武 対 オリックス 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  16. ^ 【西武】高橋が初勝利「増田だと思った」」『日刊スポーツ』2013年10月9日。2025年3月8日閲覧
  17. ^ 2014年 開幕登録選手発表!」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』2014年3月26日。2025年3月8日閲覧
  18. ^ a b 西武の高橋が侍ジャパン入り!2年目左腕、今季守護神で29S」『スポニチ Sponichi Annex』2014年10月9日。2025年3月8日閲覧
  19. ^ 西武・脇谷 V打「雄星に勝ちをつけたい思いだけでした」」『スポニチ Sponichi Annex』2014年4月20日。2025年3月8日閲覧
  20. ^ 2014年4月19日 埼玉西武 対 オリックス 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  21. ^ a b 西武守護神高橋が遠距離恋愛実らせ結婚」『日刊スポーツ』2014年12月26日。2014年12月26日閲覧
  22. ^ 2014年 個人成績 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  23. ^ 投票結果(最優秀新人) | 2014年 表彰選手」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年3月8日閲覧
  24. ^ 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表!」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2014年10月9日。2025年3月8日閲覧
  25. ^ 2014年度日米野球 試合結果(第2戦)」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年3月8日閲覧
  26. ^ 2014年度日米野球 試合結果(第5戦)」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年3月8日閲覧
  27. ^ 高橋朋 今季も守護神!ミゲルとの争奪戦に勝利「うれしい」」『スポニチ Sponichi Annex』2015年3月16日。2025年3月8日閲覧
  28. ^ 西武・高橋朋 史上初!開幕3戦連続S チームも53年ぶり好発進」『スポニチ Sponichi Annex』2015年3月30日。2025年3月8日閲覧
  29. ^ 西武13年ぶり開幕4連勝 高橋朋4連続S」『日刊スポーツ』2015年4月1日。2025年3月8日閲覧
  30. ^ 2015年4月5日 埼玉西武 対 福岡ソフトバンク 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  31. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2015年7月16日。2015年8月4日閲覧
  32. ^ マツダオールスターゲーム2015 出場者」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年3月8日閲覧
  33. ^ 2015年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第2戦)」『NPB.jp 日本野球機構』。2025年3月8日閲覧
  34. ^ ロッカーから出られず…救援失敗の西武・高橋朋「今は怖い」」『スポニチ Sponichi Annex』2015年7月26日。2025年3月8日閲覧
  35. ^ a b 西武 パ最速4500勝 高橋朋、信頼回復へ52日ぶり22S」『スポニチ Sponichi Annex』2015年8月29日。2025年3月8日閲覧
  36. ^ 西武・牧田 4年ぶりセーブ チームは13連敗から2連勝」『スポニチ Sponichi Annex』2015年8月7日。2025年3月8日閲覧
  37. ^ 2015年8月28日 楽天イーグルス 対 埼玉西武 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  38. ^ 西武高橋朋が足首捻挫…残り5戦&CS欠場危機」『日刊スポーツ』2015年9月24日。2025年3月8日閲覧
  39. ^ 2015年9月23日 埼玉西武 対 オリックス 成績詳細」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  40. ^ 公示(出場選手登録・抹消) 2015年9月」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  41. ^ a b 西武高橋朋が右足骨折で今季欠場 侍も出場不可能」『日刊スポーツ』2015年9月26日。2025年3月8日閲覧
  42. ^ 「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』2015年9月10日。2015年9月20日閲覧
  43. ^ 2016年 開幕登録選手発表!」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』2016年3月23日。2025年3月8日閲覧
  44. ^ 西武高橋朋、左肘張り抹消「体おかしい」潮崎コーチ」『日刊スポーツ』2016年4月22日。2025年3月8日閲覧
  45. ^ 公示(出場選手登録・抹消) 2016年4月」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧
  46. ^ 西武・高橋朋、トミー・ジョン手術成功 復帰は再来年の春か」『スポニチ Sponichi Annex』2016年7月27日。2025年3月8日閲覧
  47. ^ 西武 高橋朋が2軍戦で復帰登板でセーブ 阪神 藤浪は5回1失点」『スポニチ Sponichi Annex』2017年6月3日。2025年3月8日閲覧
  48. ^ 西武高橋朋己が左肘手術を乗り越え今日1軍復帰」『日刊スポーツ』2017年9月30日。2018年10月29日閲覧
  49. ^ 西武、勝利の方程式は「日替わり」制 投手コーチがキーマンに指名したのは…」『西日本スポーツ』2018年3月28日。2018年10月29日閲覧
  50. ^ 西武高橋朋己が登録抹消 前日左肩違和感で降板」『日刊スポーツ』2018年4月1日。2018年10月29日閲覧
  51. ^ 西武 元守護神・高橋朋と来季契約せず 与座とともに育成選手として契約へ」『スポーツニッポン』2018年10月29日。2018年10月29日閲覧
  52. ^ a b c 西武高橋朋己「身削り」与座「早くて1年」育成契約」『日刊スポーツ』2018年11月15日。2018年11月15日閲覧
  53. ^ 西武高橋朋がキャッチボール再開 支配下に向け第一歩「今年から始めました」」『Full-Count』2019年1月19日。2020年3月25日閲覧
  54. ^ 西武 育成の高橋朋が1年半ぶり実戦  10月フェニックスL」『西日本スポーツ』2019年9月29日。2020年3月25日閲覧
  55. ^ 西武高橋朋「球団には感謝しかない」来季も育成契約」『西日本スポーツ』2019年12月10日。2020年3月25日閲覧
  56. ^ 西武の育成、高橋朋 背番号「43」はその帰還を待っている」『Sponichi Annex』2020年1月28日。2020年10月20日閲覧
  57. ^ a b 西武・高橋朋己が引退 15年にプレミア日本代表選出もケガとの闘い…引退背番号は「123」」『東スポWeb』2020年10月20日。2020年10月20日閲覧
  58. ^ a b c 西武・髙橋朋己が今季限りで現役引退「腐らずやってきてよかった」」『BASEBALL KING』2020年10月20日。2020年10月20日閲覧
  59. ^ 西武高橋朋己が引退 15年球宴出場もけがとの戦い」『日刊スポーツ』2020年10月20日。2020年10月20日閲覧
  60. ^ a b c 涙の引退試合 西武高橋朋「投げた瞬間、バコッていった」/一問一答」『西日本スポーツ』2020年10月30日。2020年11月2日閲覧
  61. ^ 引退登板の西武・高橋朋己 1球で遊飛斬り 試合前の1軍投手陣らも見守った」『Sponichi Annex』2020年10月30日。2020年10月30日閲覧
  62. ^ 西武高橋朋己が引退登板、巨人モタを遊飛に打ち取る」『日刊スポーツ』2020年10月30日。2020年10月30日閲覧
  63. ^ 涙の引退試合 西武の元守護神・高橋朋「ブルペンでずっと泣いてた」魂の106キロで幕」『西日本スポーツ』2020年10月30日。2020年11月2日閲覧
  64. ^ 埼玉西武ライオンズ [@lions_official] (2020年10月30日). "今日10/30(金)、現役ラスト登板を迎えた高橋朋己投手!キャッチボールは同級生の大石達也ファーム・育成グループスタッフと行いました!". X(旧Twitter)より2020年10月30日閲覧
  65. ^ 高橋朋己投手ラスト登板【ノーカット】&1日に密着!特別映像、本人インタビューも! - YouTube
  66. ^ 西武・高橋朋己アカデミーコーチが誓う“全力投球” 経験伝え次代のレオ戦士育てる」『スポーツニッポン』2020年12月16日。2020年12月17日閲覧
  67. ^ 西武の守護神・高橋朋己、「強さ」の秘密 2」『東洋経済オンライン』2014年9月11日。2025年3月8日閲覧
  68. ^ a b 西武の守護神・高橋朋己、「強さ」の秘密」『東洋経済オンライン』2014年9月11日。2025年3月8日閲覧
  69. ^ 昨季29セーブの西武・高橋朋、シンカー練習も「まだまだ遊び」」『SANSPO.COM』2015年2月6日。2025年3月8日閲覧
  70. ^ 「野球人生、どうせあと数年ですよ」西武・高橋朋己が探す完全復活の道。」『Number Web』2018年3月9日。2018年10月29日閲覧
  71. ^ a b 西武守護神高橋、昇給で「漫画買います」」『日刊スポーツ』2014年12月4日。2025年3月8日閲覧
  72. ^ 西武 新人高橋 漫画200冊持参で入寮「いつでも貸し出します」」『スポニチ Sponichi Annex』2013年1月7日。2025年3月8日閲覧
  73. ^ a b E-girls・Ami、ミニスカ美脚で豪快投球 ノーバンならず「悔しい気持ち」」『モデルプレス』2015年7月3日。2015年8月4日閲覧
  74. ^ 西武・高橋朋の夫人が第1子女児出産」『サンケイスポーツ』2015年9月15日。2018年10月29日閲覧
  75. ^ 西武高橋朋己が第2子誕生を報告 ファンから祝福」『日刊スポーツ』2018年1月26日。2018年10月29日閲覧
  76. ^ 西武高橋朋己、母校の初快挙弾みに支配下復帰目指す」『日刊スポーツ』2020年1月25日。2020年10月20日閲覧
  77. ^ 2013年8月22日 千葉ロッテ 対 埼玉西武」『埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト』。2025年3月8日閲覧

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  髙橋朋己のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「髙橋朋己」の関連用語

髙橋朋己のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



髙橋朋己のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの髙橋朋己 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS