高校1年生、恐怖の1年生4番
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:45 UTC 版)
「松井秀喜」の記事における「高校1年生、恐怖の1年生4番」の解説
投手として入部したが、練習初日のブルペンで投球練習ですぐに監督に「投手以外だったらどこを守りたい?」と尋ねられ実質投手失格を言い渡される。しかしその前に行った打撃練習では、3年生を含んだチームメンバーで自分だけフェンス越えの打球を放っており「先輩は真面目に飛ばそうとしてないのではないのか」「ひょっとしたら後で怒られるのではないか」と不安になったという。その後野手(一塁手)に転向。その後、三塁手に転向する。星稜高校の入学式前から野球部の練習に参加し、他校との練習試合では「4番・三塁手」で出場してヒットを放った。 1年生から4番打者を務め(5番は3年生の村松有人だった)「北陸の怪童」「星稜恐怖の1年生4番」として徐々に野球関係者の間に知られていき、本塁打もこの頃から推定飛距離で140mを超すものもあった。 ただ、夏の選手権では初戦(2回戦)の対日大鶴ヶ丘高校戦で難波俊明投手に3打数0安打で押さえ込まれチームは初戦敗退し、「甲子園は怖いところです」というコメントを残している。しかしながら、対戦した難波投手は打ち取ったものの、第3打席の外野の最も深い場所へ大飛球を飛ばされ、「あの(難しい)球をあそこまで飛ばすのか」と、松井の怪物の片鱗を見たと後にコメントしている。 秋季では北信越大会準決勝で上田佳範を擁した松商学園高校に敗れ、選抜出場を逃す。
※この「高校1年生、恐怖の1年生4番」の解説は、「松井秀喜」の解説の一部です。
「高校1年生、恐怖の1年生4番」を含む「松井秀喜」の記事については、「松井秀喜」の概要を参照ください。
- 高校1年生、恐怖の1年生4番のページへのリンク