駆け出し時代期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 16:42 UTC 版)
1952年、ホルストンはシカゴに移り、シカゴ美術館付属美術大学の夜間コースに入学、学業と並行してウィンドードレッサーとして働いた。 1953年に、自身の帽子ビジネスを開業した。彼の最初の顧客はラジオ女優でコメディアンのフラン・アリソンであった。キム・ノヴァク、グロリア・スワンソン、デボラ・カー、ヘッダー・ホッパーなどの著名人がホルストンの帽子を購入した。 シカゴデイリーニュースがホルストンが手がけた帽子に関する短い記事を掲載したことをきっかけに、ホルストンの名が初めて広く知られるようになった。 1957年、最初のショップであるブルバードサロンをノース・ミシガン・アベニューにオープンした。ホルストンは子供の頃から、自身と同じ名前を持つ叔父ロイと区別するためにミドルネームで呼ばれることがあり、最初のショップをオープンしたちょうどこの頃から、ホルストンは仕事でもミドルネーム「ホルストン」を使うようになっていった。 1957目年後半にホルストンはニューヨークに拠点を移し、婦人用帽子職人のリリー・ダッシェの元で働き始めた。1年もしないうちに、ホルストンはダッシェの共同デザイナーに指名され、ファッションエディターや出版社と知り合いになると、ダッシェのスタジオを離れて、デパートのバーグドルフ・グッドマンの帽子サロンの責任者となった。
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