首位打者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:50 UTC 版)
「1910年のメジャーリーグベースボール」の記事における「首位打者」の解説
この年は終盤に首位打者争いが白熱して、球史に残る打率争いとなった。シーズン最終日の試合前、タイ・カッブが509打数196安打で打率.385、ナップ・ラジョイは打率.376と9厘差であった。そして首位打者を確信したカッブは最終日の試合を欠場し、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現:ボルチモア・オリオールズ)戦のダブルヘッダーで9打数8安打を打って、最終成績は591打数227安打で打率.384となった。惜しくもラジョイの方が1厘差及ばず、カッブの首位打者が決まった。しかし、この最終戦でのラジョイの8安打について相手チームのブラウンズのオコーナー監督とハウエル・コーチがラジョイに首位打者を取らせるために、新人のコリデン三塁手をわざと後方に守らせてバントヒットを量産させたとして、オコーナーとハウエルは解雇されてやがて球界から永久追放の処分を受けた。しかも話はこれで終わらなかった。 1981年、スポーティング・ニューズ社により1910年の打撃成績の集計に誤りが指摘され、タイ・カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打で打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかしコミッショナー特別委員会はその後の八百長疑惑から監督とコーチが永久追放処分となった影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。 現在、打率1位の記録を残した選手と首位打者を獲得した選手とが違うというケースは、1902年のエド・デラハンティとナップ・ラジョイの例があるが、これはラジョイの規定試合出場数が足りないためで、この年のナップ・ラジョイとタイ・カッブの例はどちらも規定出場試合数を超えており、問題があった。また打率1位でありながら規定打席数や規定出場試合数がたびたび基準変更されたため、今日の基準から見て首位打者の資格を有しないとして、1914年のタイ・カッブ、1926年のバブルス・ハーグレイブ、1940年のデブス・ガームズ、1942年のアーニー・ロンバルディなどについて異なった見解がある。
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