養成と拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 09:31 UTC 版)
デヴシルメで徴集され、イェニチェリに配属されることが決まった者は、まず改宗の手続きがとられた後、ムスリム(イスラーム教徒)の農民家庭に配置され、農業労働に従事するとともにトルコ語を習得させられた。 次にアジェミー・オウラン(acemi oğlan)と呼ばれる身分に取り立てられ、首都などに兵営を持つ新兵軍団に配属され、次いでイェニチェリの増員・欠員補充の必要性に応じてイェニチェリ軍団に編入された。 イェニチェリは君主直属の主力軍団として原則的に首都イスタンブールにある兵営に住まわされ、また妻帯することを禁じられるが、同時に高い俸給を与えられ、免税など様々な特権を享受した。イェニチェリの俸給には定期的な給料(これ自体はそこまで高くはなかった)以外にも年金や一時金の支給があり、他にも日本でいう「講」のようにプール金から融資を受けることができ、さらに都市のギルドとも結びつきがあったので、スルタンが直接渡す給料以上に一般人から見れば経済的に魅力的な存在であった。 スレイマン1世の治世には軍事技術の革新のため各国で火器を装備した常備歩兵が重要視されるようになり、オスマン帝国では必然的にイェニチェリが拡充される方向に向かい、人員が膨張すると同時に、首都のみならず帝国領内各地の都市に駐留させられるようになったが、これと逆に「ティマール」と呼ばれる徴税権を持つムスリムの騎兵(上述のデヴシルメで集められた常備騎兵軍とは別)は時代遅れの戦力と経済システムと見なされどんどん立場が悪くなっていき、徴税請負人制度により徴税権を奪われて解体されて行き、数を減らしていった。
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