飛鳥井雅望
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飛鳥井 雅望(あすかい まさもち、天保13年5月3日(1842年6月11日) - 明治39年(1906年)4月21日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿、伯爵。
来歴
安政4年(1857年)、侍従に任命され、新内裏両殿の障子の色紙の和歌題を撰する。明治16年(1883年)、殿掌を拝命時、翌年に伯爵を授けられる。明治19年(1886年)に致仕したが、華族会館に蹴鞠保存会が設置されると宗匠となり、師範として尽力した。
明治39年(1906年)に亡くなった際、後嗣が無かったため一旦襲爵権を失ったが、明治42年(1909年)に実弟の恒麿に改めて叙爵された[2]。
官歴
- 安政2年(1855年):従五位上
- 安政5年(1858年):正五位下
- 万延元年(1860年):従四位下
- 文久元年(1861年):右少将
- 文久2年(1862年):従四位上
- 元治元年(1864年):左中将
- 慶應3年(1867年):従三位
- 明治17年(1884年)7月7日:伯爵[3]
- 明治24年(1891年)6月16日:従二位[4]
系譜
- 父:飛鳥井雅典
- 母:梅子(花山院家厚の娘)
- 弟:藤枝雅之
- 弟:持明院基静(持明院基和の養子)
- 弟:大谷勝道(大谷光勝の養子)
- 先妻:栄(上杉斉憲の娘)
- 後妻:満子(四条隆謌の娘)
- 養子(実弟):飛鳥井恒麿
- 養子:飛鳥井雅忠(穂波経度の子)
- 子:飛鳥井雅広
脚注
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
伯爵 飛鳥井家初代 1884年 - 1906年 |
次代 飛鳥井恒麿 |
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