風流島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/25 14:02 UTC 版)
風流島[1](たわれじま[2])は熊本県宇土市住吉町の有明海に浮かぶ島である。「たばこ島」[3]「はだか島」[4]ともいう。平安時代からの歌枕として知られる。
- ^ 『和漢三才図会』第八十巻 地部 肥後では「風流(タハレ)島」の漢字表記をする。『肥後国志』も「風流島」で項目を立てる。
- ^ 「たわれ」は、歴史的仮名遣いでは「たはれ」。宗碩による室町時代の歌語辞書『藻塩草』五 水辺では「多波禮嶋」の字を充てる。また、『太宰管内志 下巻』肥後志149頁は「戯(タハレ)島」の漢字表記をする。
- ^ 「たばこ島」なる名について『肥後国志』は、「此島長命草ヲ岩間ニ生ス冬月モ不凋生々トシテ四季共ニ有ル故里俗タバコ島ト云」という(長命草は煙草の異称)。もっとも「近年此長命草不見」とする。
- ^ 『肥後名所方角抄』には宗祇の「肥後国 宇土の内なる 裸島 きたれる波や 衣なるらむ」との歌がある。
- ^ 延久3(1221)年、肥後国司菊池則隆が摂津の住吉大社から分霊を勧招したもの。旧県社。
- ^ 宇土市商工観光課の現地案内板
- ^ a b c 宇土市教育委員会の現地案内板
- ^ 『角川日本地名大辞典 43 熊本』723頁
- ^ 一般に『伊勢物語』の主人公は在原業平とされる。業平の岳父・紀有常は肥後権守であった経歴を持つ。業平の従兄弟・在原安貞も肥後国司であった経歴を有する。
- ^ 作者である清少納言の父で、三十六歌仙の1人として知られる清原元輔は、肥後国司であった。
- ^ 大江朝綱
- ^ 宇土市商工観光課の現地案内板。宇土市教育委員会の現地案内板。
- ^ 土御門院小宰相
- ^ 『藻塩草』『歌枕名寄』に見える法性寺関白藤原忠通の歌「長むれば 思残せる 事ぞなき 宇土の小島の 秋の夜の月」など。
- ^ 『太宰管内志 下巻』肥後志151頁は「〔常足云〕しひていはゞ宇土ノ小島は裸島の事にてもあらむ」との見解を紹介する。
- ^ 『肥後国志』は、「小島」すなわち住吉自然公園の小半島(埋立により旧笠岩村と地続きになる前は島であった)を「宇土の小島」とする。『新撰名勝地誌 巻10 西海道之部』471頁以下も同じ。
- ^ 現地の「住吉神社参拝コース」と書かれた地図には、「伊勢物語の歌枕に枕草子に「宇土の小島の風流島」と掲載されている。」(原文ママ)との記載があるが、『伊勢物語』『枕草子』ともに「宇土の小島の風流島」なる表現は確認できない。
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