風月堂 (東京都新宿区)とは? わかりやすく解説

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風月堂 (東京都新宿区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 05:22 UTC 版)

風月堂
FUGETSUDO
店舗概要
所在地 東京都新宿区角筈1丁目1番地
開業日 1946年
閉業日 1973年8月31日
正式名称 風月堂
後身 新宿三越アルコット

ビックロ
最寄駅 新宿駅
外部リンク 電脳・風月堂
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風月堂(ふうげつどう)は、日本喫茶店東京都新宿区にて、1946年から1973年まで営業した。名曲喫茶の先駆けともいえる。

来歴

横山五郎が、家業の潤沢な資金とクラシックレコードのコレクションを売りとして、新宿東口の角筈(つのはず)1丁目(後の新宿3丁目の新宿三越アルコット→ビックロ付近)に開業。 戦時中禁止されていたクラシックレコードをかける喫茶店としてスタートした。

滝口修造白石かずこ天本英世三枝成章三國連太郎ビートたけし野坂昭如五木寛之岡本太郎栗田勇[1]岸田今日子長沢節[2]朝倉摂谷川俊太郎唐十郎安藤忠雄寺山修司若松孝二高田渡蛭子能収ら、若き才能が数多く集った。レコードのコレクションは充実しており、NHKも借用にくるほどであった。

1964年東京オリンピックでは、外国人観光客向けガイドブックでも「日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介され、外国からの若者やヒッピーの間でも「Fugetsudo」の名は東京の代名詞にまでなり、若者文化の聖地、若き才能の坩堝と呼ばれるまでになった。

1960年代後半の全共闘運動時代には反戦運動の活動家や学生が出入りするようになり、公安警察が監視していた。作家・山崎朋子は、店のウエイトレスをしていたこともある。ベトナムに平和を!市民連合活動家の拠点ともなり、ベトナム戦争従軍米兵の脱走兵を保護していたことも度々あった[3]。さらにフーテンも出入りするようになり、かつての芸術喫茶は大きく変貌を余儀なくされ、常連の客足も遠退き、1973年8月31日、戦後の新宿文化を象徴した名曲喫茶「風月堂」は閉店し、27年の歴史に幕を閉じた。現在は、IDC大塚家具新宿ショールームが入る三越新宿店南館共同ビルの壁面にプレートが残るのみである。

関連項目

脚注

  1. ^ 「思索の風景―都市への架橋」栗田勇 1977/09 白川書院
  2. ^ 「セツ学校と不良少年少女たち」セツ・モードセミナー物語 三宅菊子 1985/01 じゃこめてい出版
  3. ^ 「脱走兵の思想」1969/06 小田実・他 太平出版

参考文献

外部リンク




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