音楽活動と作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 04:25 UTC 版)
「ローベルト・フランツ」の記事における「音楽活動と作品」の解説
フランツは、18世紀におけるヨハン・ルドルフ・ツムシュテークと並んで19世紀における重要なドイツ歌曲(リート)作曲家の一人であるが、こんにちでは滅多に演奏されることがない。当時の多くの音楽家と同じように、初期に音楽活動に乗り出すにあたって、両親から敵意を示された。二十歳になって父親の反感に打ち勝ち、シュナイダーのもとでオルガンを学ぶことができたのである。シュナイダーから、もっぱらバッハとヘンデルの模作に励むように指導されたため、フランツはこれらの作曲家に馴染み、後にバッハの《マタイ受難曲》や《マニフィカト》、《カンタータ》や、ヘンデルの《メサイア》や《快活な人と沈思の人》の実用譜を校訂している。ただしこれらのフランツ版は、何かと問題が多い。ほかにアストルガの《スターバト・マーテル》とドゥランテの《マニフィカト》も校訂している。 1843年に最初の歌曲集を出版してから、その後およそ50点の楽譜が出版され、約250曲の歌曲がそこに含まれている。リストはシューマンの音楽雑誌『音楽新報』に長い評論文を寄せ、フランツの歌曲について称賛している。フランツの歌曲は、全部で350曲があり、そのうち約90曲がハインリヒ・ハイネの詩に作曲されている。シューマンの最上の歌曲に比べて華やかさに欠けるが、珠玉の逸品である。歌曲のほかに、二重合唱のための《詩篇第117番》や四声合唱のための《キリエ》もある。古希には、最初で最後の(つまり唯一の)ピアノ曲を出版した。
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