青葉通以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 22:44 UTC 版)
仙台城の城下町建設の際、仙台城大手門から東に伸びる道が仙台藩の主要道として整備された。大手門前から大橋を渡って現在の西公園の南東角(大町頭)に至り、そこから真っ直ぐに大町、新伝馬町、名懸丁と続いて、その先は旧陸奥国府・多賀城、仙台の外港の塩竈、松島、東北太平洋岸海運の拠点港の石巻へと続いていた。これに大町の芭蕉の辻において南北の道である奥州街道(現国分町通)が交差していた。 明治期に日本鉄道の仙台駅が設置されてからは、芭蕉の辻の1つ東側の東一番丁と駅との間にある大町、新伝馬町、名懸丁が次第に商店街化し、仙台市電開通後は特に芭蕉の辻と駅とを繋ぐ南町および南町通が業務地区化した。 この2つの東西道路の間挟まれた現在の青葉通にあたる場所には横丁しかなく、仙台駅西口から西には細く短い裏五番丁、南町から西に電話横丁、良覚院丁があるのみだった。
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