青函トンネル開通青函連絡船の終焉とその後とは? わかりやすく解説

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青函トンネル開通・青函連絡船の終焉とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:33 UTC 版)

青函連絡船」の記事における「青函トンネル開通・青函連絡船の終焉とその後」の解説

1988年昭和63年3月13日青函トンネル開通に伴い同日をもって青函航路通常運航終了し青森 - 函館間の連絡青函トンネルゆだねられた。 その後青函トンネル開通記念博覧会世界・食の祭典合わせて同年6月3日から9月18日まで「羊蹄丸」「十和田丸」を用い昼間1日2往復暫定運航復活運航)を行うとともに夜間には函館港羊蹄丸青森港十和田丸停泊させホテルシップ営業行ったこの期間には通常営業時は入ることができなかった操舵室車両甲板公開された。また、船尾扉を航海中に開いて見せることも行ったが、監督官庁指導により中止された。暫定運航終了した9月19日付で青函連絡船正式に廃止となり、津軽海峡から完全に姿を消した廃止30年以上が経過した現在でも、青森駅には連絡船案内表示桟橋可動橋へ向かう線路など青函連絡船痕跡数多く残っており、函館駅有川桟橋周辺にも着岸の際に目標として用いていた標識などが今でもわずかに残存している。

※この「青函トンネル開通・青函連絡船の終焉とその後」の解説は、「青函連絡船」の解説の一部です。
「青函トンネル開通・青函連絡船の終焉とその後」を含む「青函連絡船」の記事については、「青函連絡船」の概要を参照ください。

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