隆家の子孫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 08:46 UTC 版)
隆家の娘は長女が三条天皇の皇子式部卿敦儀親王室、もう一人が参議藤原兼経室となっている。 隆家の長男良頼は正三位権中納言に進み、その娘は参議源基平室となり後三条天皇の寵愛をうけた源基子(実仁親王・輔仁親王の生母)を生んだ。良頼の4代後の子孫に、平清盛の継母として源頼朝の助命を嘆願したという池禅尼がいる。 隆家の次男経輔(1006年 - 1081年)は、正二位権大納言となって水無瀬大納言と称せられた。経輔の5世孫にあたる従三位忠隆の息女は近衞家の祖である基実の室となって基通を生み、その兄弟信頼は後白河上皇の寵臣で平治の乱の首謀者として有名。同じく経輔の5世孫にあたる修理大夫信隆の息女七条院殖子は後鳥羽院生母であり、その弟坊門信清は内大臣の位にまで昇った。源義経の母の常盤御前の再婚相手で奥州藤原氏とも関係があった一条長成も経輔の5世孫である。 隆家流は女系を伝って皇室・摂家にその血を残し、子孫は水無瀬流として後世、水無瀬(羽林家)・七条(羽林家)・町尻(羽林家)・桜井(羽林家)・山井(羽林家)の五堂上家を出して明治維新に至る。 なお、南北朝時代に懐良親王を擁した肥後国の豪族菊池氏は隆家の後裔を称し、祖先たる藤原政則 (基定) を隆家の子としている。
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