陽明社の設立
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東京市芝区金杉川口町24番地に、株式会社陽明社を創業し出版業を手掛ける。社名は陽明学の理念から名付けられた。 1927年(昭和2年)、自由党員・今幡西衛らによって、京都円山公園に、坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像を建設する計画が提起され「坂本中岡両先生銅像建設会」が組織されるとこれに賛同。銅像建設資金を得るため、今幡らが『雋傑坂本先生伝』を執筆。尾崎旦の弟・尾崎卓爾 は自ら執筆した中岡慎太郎の伝記をさらに増補改訂し、同年12月30日、『中岡慎太郎先生』として陽明社から出版した。 1929年(昭和4年)3月5日、『台湾に於けるバナナ沿革史』を著し出版。 同年4月8日、父・尾崎旦爾が逝去したため、同5月7日家督相続を届出。 1930年(昭和5年)1月26日、今幡西衛の媒酌により板垣守正の長男・正を養子にむかえる。 1931年(昭和6年)肺結核に罹患し転地療法を行うため、養子・尾崎正を今幡西衛へ預け、郷里近くの高知県安芸郡西浜へ帰省。 1932年(昭和7年)6月4日死去。享年43歳。墓は高知県安芸郡北川村野川にある。 尾崎旦の家督は、同年8月7日、養子・正が相続した。
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