陸上指導者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 09:56 UTC 版)
小出は日本の陸上競技指導者としては早い時点で女性の長距離種目への適性を評価し、その対策を研究した。有望な選手を探す中、中学時代の増田明美に目を付けたが、わずかな差で成田高等学校の瀧田詔生に先を越され、指導の機会を逃したこともある。その後、佐倉高校で倉橋尚美を長距離選手として育て、増田が初マラソンで日本最高を記録した1982年2月の光町マラソンに倉橋を出走させて増田に次ぐ2位(記録は当時日本歴代2位)でゴールさせている。 「ほめて育てる」という選手育成方法が知られている。ただし、小出本人はほめるだけでなく叱る、アドバイスや注意をするといったことも組み合わせ、相手の個性に合わせて指導することが大事であるとインタビューで語っている。 監督がゴールにいてあげるべき時は選手が勝った時ではなく、負けた時に「おまえが悪いんじゃない、監督が悪いんだ。」と慰めるためだ、と語っている。 小出の指導者としての最後の大会になったのは、2019年3月10日の名古屋ウィメンズマラソンであるが、その会場で偶然にも自らが育成した有森裕子、鈴木博美、高橋尚子らもいたため、皆で写真を撮ったのが最後になったと小出の愛弟子の有森が語っている。
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