降伏とムハンマド・アリー朝の成立
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「ムハンマド・アリー」の記事における「降伏とムハンマド・アリー朝の成立」の解説
第二次エジプト・トルコ戦争に敗北し、降伏交渉が完了したのは1841年6月のことであった。エジプトは領土の多くを失い、最盛期に15万以上の規模を誇った軍隊は1万8000万に削減され、海軍艦艇の建造および将軍以上の軍人の任命にはオスマン帝国の承認を得なければならなくなり、主要生産品の政府独占および専売制は廃止され、定率の関税、および治外法権を認めさせられるなど国力は大きく衰退した。その一方、オスマン帝国の宗主権のもとムハンマド・アリー家のエジプトおよびスーダンにおける総督職の世襲が認められ、エジプトは形式的には引き続きオスマン帝国の統治下に置かれるものの、実質的には本国政府から独立した行政権を行使できるようになった。山口直彦は、これをもって正式にムハンマド・アリー朝が成立したとする。
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