降井家略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 06:27 UTC 版)
戦国時代以前の和泉国(現・大阪府南部地域)における、農村に基盤を置く地侍に和泉36郷士があり、動乱が続く中で、それぞれの郷士は各自の領域内で勢力を保ちながら、それぞれが結びついいたと考えられている。熊取にも門村家、甲田家、降井家の3家の郷士が存在し、門村とは中家のことで、この中家からは、片桐氏へ仕えた者や徳川家康に仕え旗本になった根来盛重を輩出している。中家は熊取谷(現・熊取町)・五門に住み、その後代々岸和田藩の大庄屋を務める。また、降井家は降井太夫が織田信長の配下となり、毛利家の水軍と木津川口で戦い討死したが、中左近の次男が養子となり降井家を継いでいる。 降井家は同じ熊取谷にある中家と並び、この地域の豪族で、江戸時代に岸和田藩の郷士代官や七人庄屋をつとめ、代々岸和田藩の大庄屋として年貢徴収や年寄や組頭の決定など、熊取谷の村の行政全般を担っていた。貞享2年(1685年)には、岸和田藩の藩札発行の札元に任じられ、藩の経済にも貢献する家柄となっている。
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