関東州の馬券
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:31 UTC 版)
当時の内地の馬券の規則では馬券(1枚5円以上20円以下)は高額で庶民がおいそれと買えるものではなく、逆に一人1レースについて1枚の枚数制限があり金持ちだからと沢山買えたわけではない。また勝ち馬券の配当も最高で10倍までとされている。これらの制限は競馬の射幸性を制限し賭博としての弊害を生まないためである。大連競馬場を含む関東州の競馬も1940年(昭和15年)までは内地の規則に準じて馬券の価額は5円もしくは20円で(大正13年のみ10円)で一人1レースに付き1枚、払い戻しは最高10倍までとしている。 しかし、競馬の発展を通じて軍馬の改良と増産を目論む関東軍は馬券の制限が気に入らず、関東軍が独走して作った満州国ではこれらの馬券制限を撤廃し、満州国に組み込まれなかった遼東半島先端部の関東州競馬も引きずられるように1940年(昭和15年)日本の法体系を脱却して、満州国の競馬規則を取り入れ、無制限の馬券を発売する。 1931年(昭和6年)関東州では景品付き入場券(揺彩票)の発売を開始した。 1枚3円の券が最高で4万円になる事実上の宝くじ付入場券である。それまで競馬に関心のなかった人々も一攫千金の夢を見て競馬場に吸い寄せられていく。1931年(昭和6年)以降は入場人員、売り上げともに飛躍的に伸びていく。漢民族、満州人も揺彩票に魅せられて競馬を始め、日本人と同程度に競馬場に集まったという。
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