関東州競馬の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:31 UTC 版)
関東州では1929年(昭和4年)安東に競馬場が作られる。1931年(昭和6年)に景品付き入場券(揺彩票)が発売されると競馬ブームは拡大する。昭和6年鞍山、1932年(昭和7年)には旅順、長春(新京)、公主嶺、開原、遼陽に競馬場が作られ、さらに金州、撫順にも競馬場は設けられる。大連、奉天(砂山)、安東は関東局下の公認競馬、それ以外の鞍山、旅順、長春(新京)、公主嶺、開原、遼陽、金州、撫順は各地の警察下の地方競馬である。 満州国成立後の1934年(昭和9年)、長春の競馬場は満州国立新京競馬場となり、開原、遼陽の競馬場は資料に名前が見られなくなるので、1935年(昭和10年)には関東州の競馬場は旅順、大連、金州、撫順、鞍山、奉天(砂山)、安東の7か所になる(すでに昭和8年では満州国の競馬も始まっており、奉天(北陵)、ハルビンが満州国立競馬場になっていた。) 1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)には奉天には満州国立の奉天北陵競馬場と関東州下の社団法人による奉天砂山競馬場の2つが存在したが、社団法人奉天競馬倶楽部が経営する奉天砂山競馬場は1937年(昭和12年)、撫順競馬場と合併させられて、撫順には満州国規格の広大な競馬場が作られる。
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