開設後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:11 UTC 版)
「北海道旅客鉄道厚岸自動車営業所」の記事における「開設後の動き」の解説
1951年(昭和26年)に運行開始した厚岸線は、鉄道線の短絡という使命の下に、厚岸駅と標茶駅を結ぶ路線として運行された路線である。1953年(昭和28年)には同様の使命を有する釧根線も標茶駅と西別駅(当時)を結ぶ路線として運行を開始している。また、1965年(昭和40年)には景勝地である尾岱沼への路線として尾岱沼線が開業した。尾岱沼線は、国鉄バスでは最東の路線となった。 しかし、釧根線は輸送人員が北海道内の国鉄バスの中でももっとも少ない部類で、バス利用者数の減少と合理化の中で、1977年には別海町内の路線は休止となり別海町営バスに代替。残された標茶 - 虹別間は通学輸送に特化したダイヤで存続した。厚岸線は厚岸町内での流動が多く、標茶側は2往復のみの運行であった。1991年(平成3年)に花咲線運輸営業所の直轄組織となることで鉄道との一貫輸送体系を強化する動きもあったが、1993年(平成5年)4月1日には厚岸線の下新拓以北と釧根線標茶 - 虹別が廃止され、標茶町有バスに代替された。 その後、厚岸自動車営業所は路線車両のみ4台配置、乗務員3名のみの体制になり、運行管理者は厚岸駅駅員が兼務することで、残った路線を維持するためにコストを極力抑える方策を採ったが、1997年(平成9年)12月10日限りで全線が廃止され、並行区間の多かったくしろバスに移管された。撤退後、敷地と設備はくしろバスに譲渡され、同社厚岸営業所が移転している。
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