開戦・生田の戦いとは? わかりやすく解説

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開戦・生田の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 15:38 UTC 版)

一ノ谷の戦い」の記事における「開戦・生田の戦い」の解説

2月7日払暁先駆けせんと欲して義経部隊から抜け出した熊谷直実・直家父子と平山季重らの5騎が忠度の守る塩屋口の西城戸に現れ名乗りを上げ合戦始まった平氏最初少数侮って相手にしなかったが、やがて討ち取らんと兵を繰り出して直実らを取り囲む直実らは奮戦するが、多勢に無勢討ち取られかけた時に土肥実平率い7000余騎が駆けつけ激戦となった午前6時知盛重衡平氏軍主力の守る東側生田口の陣の前には範頼率い梶原景時畠山重忠以下の大手5万騎が布陣。範頼軍は激しく矢を射かけるが、平氏は壕をめぐらし逆茂木重ねて陣を固めて待ちかまえていた。平氏軍のように矢を射かけて応じ源氏軍ひるませる平氏軍2000騎を繰り出して白兵戦を展開。範頼軍は河原高直藤田安ら討たれて、死傷者続出し攻めあぐねた。そこへ梶原景時・景季父子が逆茂木取り除きふりそそぐ矢の中を突進して梶原二度懸け」と呼ばれる奮戦見せた義経分かれた安田義定多田行綱らも夢野口山の手)を攻撃する生田口、塩屋口、夢野口激戦繰り広げられるが、平氏激しく抵抗して源氏軍容易に突破できなかった。

※この「開戦・生田の戦い」の解説は、「一ノ谷の戦い」の解説の一部です。
「開戦・生田の戦い」を含む「一ノ谷の戦い」の記事については、「一ノ谷の戦い」の概要を参照ください。

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