長春ヤマトホテル
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1909年(明治42年)に帝政ロシア(東清鉄道)や清国高官との交渉の場に充てるべく、南満州鉄道と東清鉄道との接続点だった長春駅前に新築されたホテル。建設工事中の1908年(明治41年)10月1日に長春倶楽部の建物を利用した10室で開業し、建物竣工後の1910年(明治43年)2月1日に本格営業を開始した。建物の内外装はアール・ヌーヴォー(セセッション)様式で装飾された。東清鉄道が本拠地ハルビンにアール・ヌーヴォー様式の建物を多数建てており、これに対抗したものと推定される。客室数は25室。満州国の成立後は新京ヤマトホテルに改称している。 現在は春誼賓館旧館として営業中。食堂などの内装にアール・ヌーヴォー様式の装飾が残されていたが、1987年の改装で大部分が失われた。 設計 - 市田菊治朗(南満州鉄道技師) 構造 - 煉瓦造2階建 着工 - 1907年9月 竣工 - 1909年10月 現所在地 - 中華人民共和国吉林省長春市人民大街2号
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