長延寺 (横浜市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 04:31 UTC 版)
| 長延寺 | |
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画像募集中
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| 所在地 | 神奈川県横浜市緑区三保町2440 |
| 位置 | 北緯35度30分50.0秒 東経139度31分39.0秒 / 北緯35.513889度 東経139.527500度座標: 北緯35度30分50.0秒 東経139度31分39.0秒 / 北緯35.513889度 東経139.527500度 |
| 山号 | 命帰山 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 1615年(元和元年) |
| 開山 | 玄栄 |
| 正式名 | 命帰山長延寺 |
| 公式サイト | 命帰山長延寺 |
長延寺(ちょうえんじ)は神奈川県横浜市緑区にある浄土真宗本願寺派の仏教寺院。山号は命帰山。元は神奈川宿にあり、横浜開港ではオランダ領事館に充てられ、岡倉天心が幼少期を過ごした。
本尊
寺名
寺号の長延寺は、石山本願寺住職であった顕如から下附された。神奈川宿にあった頃は、海見山と号していた。[2]
歴史
- 1615年(元和元年)顕如に帰依した笠原越前守嫡子・玄栄が故郷の小机吉田村に創立[2]。
- 1624年(寛永8年)神奈川宿の江戸方入口にへ移転、江戸見附とされる[2]。
- 1859年(安政6年)横浜開港により、オランダ領事館に充てられる[2]。
- 1868年(慶応4年)、神奈川大火で全焼し、1879年(明治12年)に本堂を再興、1906年(同39年)に庫裡を造立[2]。
- 1871年(明治4年)8歳の岡倉角蔵(後の天心)が預けられ、住職から漢籍を学ぶ。
- 1945年(昭和20年)横浜大空襲で山門・経蔵のみを残して焼失、残った経蔵を仮本殿として1947年(昭和22年)に復興。
- 1966年(昭和41年)国道15号線拡幅に伴なう区画整理により当地へ移転。跡地の一部は神奈川通東公園となり、オランダ領事館跡の石碑が残る。[3]
- 1973年(昭和48年)残在した山門を舊城寺へ寄進。
- 1992年(平成4年)彫刻家安田侃作の山門が完成、帰門と称する。
所在地・交通
神奈川県横浜市緑区三保町2440
- JR横浜線・横浜市営地下鉄グリーンライン「中山駅」から徒歩20分
脚注と出典
- ^ 『新編武蔵風土記稿』巻ノ70橘樹郡ノ13「小机領」(内務省地理局 1884年)NDLJP:1214845/156
- ^ a b c d e 『横浜市史稿 仏寺編』第4章仏寺各説 第8節 真宗 第1項 本願寺派 1「長延寺」(横浜市役所 1932年)NDLJP:1213532/510
- ^ 「神奈川宿歴史の道」横浜市神奈川区(2025年10月10日閲覧)
関連項目
外部リンク
- 長延寺_(横浜市)のページへのリンク