長岡仏壇
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長岡仏壇 |
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ながおかぶつだん |
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仏壇・仏具 |
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金仏壇 |
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長岡仏壇は17世紀頃、長岡市を中心とした地域に寺院、社殿等を建てるために全国各地から集まった宮大工、仏師、彫刻師、塗師(ぬし)等が冬の間に内職として、仏壇製造を手がけたことがその始まりと伝えられています。19世紀前半には、仏壇は地場産業として成り立つようになりました。 これは長岡藩が行った浄土真宗を保護する政策の結果、それぞれの家で位牌をまつる習慣が定着し、仏壇を求める人が増え、仏壇が広まっていったためです。 |
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新潟県 |
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昭和55年10月16日 |
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長岡仏壇は台座と主体が分かれる組立方式のため、30年から100年経っても塗り変えて再生できます。特徴的な所は、宮殿(くうでん)の三ツ屋根作りです。「唐破風(からはふ)」と「千鳥破風(ちどりはふ)」を組み合わせた二重屋根の両側に「唐破風」の脇屋根のついた伝統的なものです。 |
長岡仏壇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 05:00 UTC 版)
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