鎌倉幕府の職務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 03:21 UTC 版)
行事の警備などに当たる御家人の召集・指揮と、罪人の収監などを行った。 所司(しょし)または侍所司(さむらいどころのつかさ)と呼ばれる役職についた有力御家人が統制し、所司の中で最高位の者は別当(べっとう)と呼ばれた。鎌倉幕府の侍所は源頼朝によって治承4年(1180年)に設置され、別当は初め和田義盛らが務めたが、和田合戦により義盛が討たれると、以後は執権が職を兼ねたとされる。 元は平氏政権において伊藤忠清が坂東八か国の武士を統率する「侍別当」に任じられたのに対応して、和田義盛が頼朝に嘱望したとする謂われがある(『延慶本平家物語』)。この話が事実とするならば、貴族の家政機関である侍所とは異なる流れの中で成立した可能性が高い。その後、頼朝の地位上昇と共に家政機関としての侍所の要素も加わるようになり、建久年間には別当である和田義盛が家政機関の部分を含めた軍事全般を、所司である梶原景時が鎌倉幕府の組織の根幹とも言える御家人の統制を行うようになる。しかし、違う流れを汲む2つの組織の結合とも言える侍所の組織は不完全なものであり、侍所の職掌の整理が図られて内部の分業が進むのは、景時・義盛が失脚する建保6年(1218年)以降のこととなった。
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