銀行・捕鯨事業
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1878年(明治11年)国立銀行を創立して頭取となり、1879年(明治12年)2月第九十九国立銀行として開業したほか、養蚕製糸業・捕鯨業も手がけた。 1879年(明治12年)牟田部佃と平戸捕鯨会社を設立し、生月村字御崎捕鯨場・字本浦マグロ網代や、魚目村西村房次郎と共同で大浜村黄島網代で操業し、ザトウクジラ・ナガスクジラ等を捕獲した。1882年(明治15年)平戸村字植松沖平戸瀬戸漁場を開発したが、1884年(明治17年)生月漁場の不振で経営難となり、倒産した。1886年(明治19年)1月銀行頭取を辞職し、浅山純尹を後任とした。 1894年(明治27年)旧平戸捕鯨関係者木山金作・木田長十郎・副島清三郎と共に西彼杵郡平島銃殺捕鯨組に出資し、銃殺捕鯨を行った。1895年(明治28年)1月本浦マグロ網代再開のため借区を出願したが、許可されなかった。 1898年(明治31年)根室に移住し、函館・弘前でも活動した。1910年(明治43年)6月帰郷し、1912年(明治45年)1月30日中風により84歳で死去した。
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