鉄筋製書庫の完成
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1913年(大正2年)に再び帝国図書館を視察した岡田は、案内役の司書から「もしこれから図書館を新築するのであれば耐火構造にするべきで、蔵書を火災から守ることを第一義と心がける」ように強く言われた。岡田自身も、初の図書室を火災で失った過去の教訓から、図書館の現状に満足せず、火災に耐えうる耐火構造の図書館を目指していた。火災の心配のあまり、強風の日に図書館に泊まり込むことも多かったといわれる。 そんな岡田に助力したのが、前述の相馬哲平である。大正初期のある日に街中で岡田と出逢った相馬は、耐火構造の図書館を目指す彼の想いを知り、その場で手持ちの千円を岡田に託し、さらに皇太子嘉仁(後の大正天皇)に拝謁した記念に、建築費用3千円の寄付を約束した。その後も物価の高騰につれて、建築費が当初の約3倍にまで膨れ上がったため、岡田はさらに相馬に寄付を懇願し、最終的に相馬の寄付金は9千円にまでなった。 相馬からの多額の寄付により、1916年(大正5年)、鉄筋コンクリート構造の5階建ての書庫が完成した。これは北海道最初の鉄筋コンクリート構造の建築物である。当時の公共建築物は木構造が主流であり、災害や劣化といった木構造の欠点を解決した建築物として、この書庫は北海道中の注目を集めた。
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