鈴鹿区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:50 UTC 版)
寛文から安政年間にかけて弓鉄砲持ちの練子を務めた塩屋町と、笠鉾を担った北本町が明治期の町名改正時に合併した区で、日清戦争および日露戦争の際には勝利を祝して布団太鼓を出した。その後、1910年(明治43年)に西津福谷の指導を受け、翌1911年(明治44年)に屋台と太鼓付属品を新調したことから、出し物を大太鼓とするようになった。「力太鼓」と称され、大太鼓を大きく手を振りあげて打つ勇壮な姿が見所といわれる。2人1組の「棒振り」や「あげ太鼓」と称する曲の細やかで力強い撥さばきに定評がある。屋台はその後、1990年(平成2年)に新調された。 鈴鹿区の所在は小浜市小浜鈴鹿で、小浜地区の東に位置する。 世帯数及び人口は49戸・人口138人(2006年4月1日現在)。
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