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鈴木嘉助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 03:59 UTC 版)

鈴木 嘉助
すずき かすけ
生誕 1885年
日本青森県
死没 1978年
日本青森県
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1909 - 1935(予備役
最終階級 海軍少将
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鈴木 嘉助(すずき かすけ、1885年 - 1978年)は、日本海軍軍人(海兵36期)。最終階級は海軍少将

経歴

1914年の12月1日に大尉となり、1915年12月13日に巡洋艦八雲分隊長1917年9月15日には戦艦薩摩の分隊長を務めた。12月1日には戦艦日向艤装員、1918年の4月30日から12月1日まで分隊長を務めた。1920年12月1日に少佐、砲術学校教官、25日からは機関学校教官を兼ねた。1921年12月1日、水雷学校教官、10日から陸軍重砲兵射撃学校教官を兼ねる。

1922年12月1日からは第二艦隊参謀を務める。1924年12月1日には中佐、教育局員兼艦政本部技術会議員。1927年12月1日には軽巡古鷹副長、1928年12月10日には空母加賀の副長に着任した。

1929年11月30日には大佐、航空本部総務部員。1932年9月26日から1933年8月25日まで磐手艦長を務め、9月15日からは佐世保工廠造兵部長となった。1934年11年15日からは佐世保艦船部長。

1935年11月15日、海軍少将に昇る。同年12月14日予備役編入。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

参考文献

  • 蒲田静三、鈴木嘉助、成田喜代治、竹森繁晴『陸奥の海鳴り: 青森県出身海軍士官事績集』1982年。

ギャラリー

嘉助が副長を務めた1928年当時の空母加賀

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」69頁。
  2. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
  3. ^ 『官報』第757号「叙任及辞令」1915年2月12日。

関連項目




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