鈴木喬 (歴史研究家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鈴木喬 (歴史研究家)の意味・解説 

鈴木喬 (歴史研究家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 10:03 UTC 版)

鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 2010年10月29日)は、熊本県の歴史研究家。地名研究家としても知られる。

略歴

鈴木喬は、父・鈴木登(1888年 - 1954年、京都帝国大学文学部史学科出身)が京都市視学[1]であったので、京都大学医学部附属病院で生まれた。満2歳で父が第五高等学校教授に招請されて、熊本で育つ。碩台幼稚園、白川小学校時代を通じて本を読むのが好きであった。熊本中学校(現県立熊本高等学校)時代は3年にわたって結核を患う。日本大学文学部史学科卒業。1945年の東京大空襲は辛うじて逃れたが、熊本大空襲で自宅が被爆、父親の多くの史料が焼失した。

戦後は新制中学で教職につき、熊本市立白川中学校熊本市立出水中学校などに勤務する。1966年、乞われて熊本市教育委員会に勤務する。以後15年、退職するまで熊本の文化財の調査、保存に精魂を込めた。文化係から初代文化課長となる。

評価を高めたものに、大学教授から高校の考古学クラブなども参加させ、熊本市を6つに分け、1年を調査、次年を報告書作りしたことで、12年がかりの大仕事であった。その後、熊本大学教養部非常勤講師(9年)、熊本市文化財保護委員、熊本城顕彰会理事、小泉八雲熊本旧居保存会会長などを委嘱される[2]。その他、熊本地名研究会を主催した。

共著

注:あまりに業績が多く、編集者や共著者などの分類が不明確のものもある。

  • 熊本県知事寺本広作『熊本県史』(1961年 - 1965年、熊本県)
  • 『熊本県市町村合併史』
  • 『熊本県議会史』
  • 『富重利平写真集』
  • 『熊本市地区別文化財調査報告書』[3][4]
  • 隈本古城史(熊日出版文化賞)
  • 熊本城
  • 玉名市史
  • 嘉島町史
  • 旭志村史
  • 熊本昭和史年表
  • (父・鈴木登との共著)天草の名代官 鈴木重盛・重辰とその一族(2003年、熊本地歴研究会)

編著

  • 『熊本の城』
  • 『熊本の社寺』
  • 『熊本市史年表』
  • 光野光哉『新・熊本市史』(1996年 - )

監修

  • 『学習まんが熊本の歴史』(熊日出版文化賞)
  • 『角川地名大辞典 43 熊本県』
  • 『目で見る熊本史の100年』(2000年 郷土出版社)

著作

  • 『熊本城三の丸森本櫓跡添畑遺跡調査報告書』(1969年)
  • 『熊本の人物 熊本の風土とこころ第3集』(1982年)
  • 『故郷の想い出 写真集 明治大正昭和』(1980年 写真集明治大正昭和図書刊行会)
  • 『藤崎八幡宮の歴史』自費出版
  • 『西南戦役の功労者 谷村計介』(1998年 熊本中央ライオンズクラブ)
  • 『肥後宋氏一族の盛衰』自費出版
  • 『上田初彦日記関連文献』自費出版
  • 『天草の名代官 鈴木重盛・重辰とその一族』(2003年 熊本地歴研究会)
  • 「部屋住藩士の長崎・天草視察旅行記」熊本歴研 史叢 第9号(2004年) p.42-p.53

地名関係

  • 「九州とその異称の成立について」 1989年2月 巻号 23 熊本地名研究会報
  • 「和名抄に見える益城郡の郷名比定私見」 1991年10月巻号 第32号 熊本地名研究会
  • 「[官選『風土記』概説(1)」 1992年10月 巻号 36 熊本地名研究会
  • 「古代の世界とそこに住む人々-『肥前国風土記』を読む」松浦豊敏/討論・鈴木喬、田邊哲夫、荒木陽海、井出聰、高濱幸敏 1993年11月 40 熊本地名研究会
  • 「官選『風土記』概説(3)」 1993年5月 38 熊本地名研究会
  • 「官選『風土記』概説」 1993年2月 37 熊本地名研究所
  • 「官選『風土記』概説」 1993年8月 39 熊本地名研究会
  • 「熊本民謡「ポンポコニャー」と熊本名所地名考」 1994年3月 5 市史研究くまもと
  • 「「神々と地名」をテーマに第13回熊本地名シンポジウム開く」 1998.12 40 日本地名研究所通信
  • 「第12回熊本地名シンポジウム」 1998.1 35 日本地名研究所通信

文献

  • 熊本の100年編集者『熊本市の百年』郷土出版社(名古屋市)、2000年。 
  • 写真集明治大正昭和図書刊行会『写真集明治大正昭和』図書刊行会、1980年。 

脚注

  1. ^ 第二次世界大戦前の日本の国家および地方の教育行政官。国家の教育方針を徹底させるため、学事の視察、教育の指導監督を行ない、特に地方の視学は教員人事の実権を握っていた。
  2. ^ Hand to Land Magazine 「鈴木喬、熊本の歴史の生き字引」2000年9月 p.18-22
  3. ^ 熊本市の百年[2000:p.147]
  4. ^ 写真集明治大正昭和図書刊行会[1980:p.167]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木喬 (歴史研究家)」の関連用語

鈴木喬 (歴史研究家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木喬 (歴史研究家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木喬 (歴史研究家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS