金聲玉振とは? わかりやすく解説

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きんせい‐ぎょくしん【金声玉振】

読み方:きんせいぎょくしん

古代中国で、音楽合奏するとき、初め鐘を鳴らし終わりに磬(けい)を打って一区切りとした故事から》知徳備わって大成するたとえ。特に、孔子大成した人格をいう語。


金声玉振

出典:『Wiktionary』 (2021/08/15 08:09 UTC 版)

成句

   きんせいぎょくしん

  1. 知徳がよく備わっていること。才智人徳優れた人物として大成すること。「」は「かね」、「」は「鉦を鳴らす」、「」は「玉でできたけい打楽器一種)」、「」は「まとめる、収める」の意[1]

発音(?)

き↗んせーぎょくしん

出典

孟子巻10・万章章句下

白文
孟子曰、「伯夷、聖之清者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也。孔子之謂集大成集大成也者、金聲玉振之也。金聲也者、始條理也。玉振之也者、終條理也。始條理者、智之事也。終條理者、聖之事也。智、譬則巧也。聖、譬則力也。由射於百步之外也。其至、爾力也。其中、非爾力也」。
訓読文
孟子いはく、「伯夷の清なる者なり。伊尹は聖の任なる者なり。柳下恵は聖の和なる者なり。孔子は聖の時なる者なり。孔子これ集めて大成すとふ。集めて大成すとは、金声之を振するなり。金声とは、条理始むるなり。之を振すとは、条理終ふるなり。条理始むるは、智の事なり。条理終ふるは、聖の事なり。智は、たとへばすなはたくみなり。聖は、譬へば則ちなり。なほ百歩の外に射るがごとし。至るは、なんぢの力なり。其のあたるは、爾の力にあらざるなり」と。
現代語訳
孟子言った、「伯夷は、聖人中でも特に清廉な者である。伊尹は、聖人中でも特に責任感の強い者である。柳下恵聖人中でも特に他者調和できる者である。孔子は、聖人中でも特に時宜に従って行動する者である。孔子こそ、全ての徳を集めて大成した人物と言えるのである集めて大成するとは、(音楽演奏する際に)始めに鉦を鳴らして(その後、笛や太鼓などが合奏され、)最後に磬を打つことである。始めに鉦を鳴らすのは、合奏乱れないよう曲の筋道始め整えるものである磬を打つのは、曲の筋道まとめて合奏締め括るのである筋道整った合奏始めるのは、智の働きである。曲の筋道まとめて合奏締め括るのは、聖の力である。智は、例えていえば弓を射る技巧である。聖は、例えていえば弓を射る筋力である。百歩離れた場所に弓を射るようなものである。矢が的に届くのは、射手筋力よる。矢が的に命中するのは、(射手技巧よるものであって射手筋力よるものではない。(孔子は、智と聖の双方兼ね備えていたので、全ての徳を集めて大成した人物と言えるのである)」。


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