金白線概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 07:40 UTC 版)
この名金急行線の元となった路線の一つである金白北本線は、1935年(昭和10年)10月3日に金沢駅 - 古屋谷駅間において運輸営業を開始した金福線をその始まりとしている。金福線は1939年(昭和14年)9月1日に福光駅にまで延伸され、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業されると同時に金白北線と改称された。同路線は北陸本線金沢駅・森本駅と城端線福光駅・城端駅を結ぶ鉄道先行路線として、また城端から金白南線北濃駅・美濃白鳥駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有すると同時に、地方産業文化の発展助命をも目的として運行が行われていた。また、1955年(昭和30年)10月28日には金白北本線と改称されている。なお、同線の一部区間においては、加越能鉄道と普通及び回数乗車券の相互乗車の取扱を行っていた。 名金急行線の元となったもう一つの路線である金白南本線は、1933年(昭和8年)8月1日に美濃白鳥駅 - 牧戸駅間において運輸営業を開始した白城線をその濫觴としている。白城線は1948年(昭和23年)3月16日に鳩ヶ谷駅にまで延伸され、続いて1953年(昭和28年)12月30日に境川橋詰駅まで延伸開業すると同時に金白南線と改称された。同路線は越美南線美濃白鳥駅・北濃駅と城端線城端駅を結ぶ鉄道短絡線としての使命を有するほか、白川郷や五箇山を結ぶ観光輸送を担い、且つ地方産業文化の発展助命を目的として運行が行われていた。また、1962年(昭和37年)10月15日には金白南本線と改称されている。 また、金沢駅 - 美濃白鳥駅間においては自動車の車体に郵便差出箱を取り付け、郵便物の速達を図っていた。このような移動郵便差出箱の制度は、山間地域を走行する国鉄自動車において実施されていた制度であって、各自動車線の中間駅において旅客の乗降等のために停車する場合に利用者が郵便物を投函することが認められていた。
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