金巻新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 15:39 UTC 版)
金巻新田 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯37度49分54.81秒 東経138度55分50.83秒 / 北緯37.8318917度 東経138.9307861度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | ■ 西区 |
人口 (2018年(平成30年)1月31日現在)[1] | |
- 計 | 34人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 950-2146[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
金巻新田(かねまきしんでん)は、新潟県新潟市西区の町字。郵便番号は950-2146[2]。
概要
1889年(明治22年)から現在の大字。角田山北東、西川左岸の低平地に位置する[4]。
もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった金巻新田村の区域の一部[4]。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
- 内野崎山
- 田島
- 道河原
- 中権寺
- 内野潟向
※西川を挟んで笠木、大友と隣接。
歴史
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元和年間から寛永年間に当地に移住した近江国の豪族、朝妻嘉左衛門が当村を開拓。はじめは嘉左衛門新田と称したが、次に六地村を称し、1662年(寛文2年)に金巻新田に改称した[4]。
朝妻嘉左衛門は、織田信長に敗れて信州に逃れた豪族で、曽和新田村を開発した朝妻儀右衛門は嘉左衛門の兄にあたる[4]。
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により河西村の大字となる。
- 1901年(明治34年)11月1日 : 合併により中野小屋村の大字となる。
- 1961年(昭和36年)6月1日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、西区の大字となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
金巻新田 | 12世帯 | 34人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 新潟市立小瀬小学校 | 新潟市立中野小屋中学校 |
交通
道路
脚注
注釈
出典
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』 新潟市、2004年3月31日。
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金巻新田(かねまきしんでん)
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「河西村 (新潟県)」の記事における「金巻新田(かねまきしんでん)」の解説
1889年(明治22年)まであった金巻新田の区域。現在の新潟市西区金巻新田。
※この「金巻新田(かねまきしんでん)」の解説は、「河西村 (新潟県)」の解説の一部です。
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