金巾製織時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 14:28 UTC 版)
明治23年(1890年)政次郎は大病に罹り、また子供が早逝するなど多難な時を迎えていたところ、10月叔父忠兵衛の紹介で、当時の滋賀県知事中井弘の強い薦めで阿部市郎兵衛・阿部市太郎・小泉新助・西川貞二郎・中村治兵衛等当時の近江商人の大物達が設立した金巾製織株式会社に入社し、一時退社したものの明治33年(1900年)には取締役に就任した。金巾製織で政次郎は阿部房次郎・藤井善助と共に大阪紡績との(明治39年(1906年)6月)合併、京都平安紡績所有工場の買収を行い、大阪紡績との合併(現東洋紡の母体)に伴い金巾製織は解散した(なお、政次郎・房次郎は引き続き大阪紡績取締役を務め、善助は監査役となった)。
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