量産・工業化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:35 UTC 版)
ジョン・ドルトンの原子論では、当初すべての元素は「単元素」であり、原子比も単純なものであるという仮定があり、水は水素と酸素が1対1のHOというみなしの元で酸素の原子量を8と判断していた。これは1805年にジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックとアレクサンダー・フォン・フンボルトによって原子比が1対2に改められ、1811年にアメデオ・アヴォガドロがアボガドロの法則に則って水の正しい構成を解釈した。 19世紀には空気の構成も判明してきた。1877年にスイスのラウル・ピクテ(英語版)とフランスのルイ・ポール・カイユテが相次いで酸素の液体化に成功したと発表し、安定状態での液体酸素はヤギェウォ大学のジグムント・ヴルブレフスキとカロル・オルシェフスキ(英語版)が初めて得た。 1891年にはイギリスのジェイムズ・デュワーが研究で用いるに充分な液体酸素の製法を見つけ、1895年にはドイツのカール・フォン・リンデとイギリスのウィリアム・ハンプソンがそれぞれ液化分留による商業ベースに乗る量産法を確立した。この酸素を工業的に用いる例として、1901年にはアセチレンと圧縮酸素を用いた溶接法のデモンスチレーションが行われた。
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