野球部と応援団(應援團指導部)
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「静岡県立掛川西高等学校」の記事における「野球部と応援団(應援團指導部)」の解説
野球部は開学と同時1901年(明治34年)創部で100年以上の歴史を有する。 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)出場5回、選抜高等学校野球大会(春の甲子園)出場4回(2015年春現在)。 野球の名門校であり、その応援にも力を入れている。 全校生徒が一丸となって応援団を結成するという考えから、例年、應援團指導部(通称エンダン)による熱血的な応援指導が行われている。創部は定かではないが、2015年(平成27年)現在で應援團長が67代目ということから少なくとも戦後直後からの應援團の存在が窺える。特に一学期においては新入生に対する応援指導は厳しいが、この応援指導により結束感を高める狙いがある。 応援の際には校名を「掛高」と称するが、同校の歴史上、「掛川高校」という名称を称したことは一度もない。対戦相手が「掛工」(静岡県立掛川工業高等学校)の場合は、例外的に「西高」と称している。 守備の際、本校のピッチャーがボールを投げた後「ストライク」(「アウト」)と叫ぶ応援パターンがあり、これが「ヤジ行為」との指摘を受けたため近年では公式試合において一部応援パターンの変更が見られる。
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