野次と応援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 05:10 UTC 版)
「八二会」の名称にあるとおり、野次を売り物とした。これは発足当時すでに複数の応援団が存在する中で、独自性を出すために発案したものであった。大声を出す練習を武庫川の川原で繰り返し、その結果しわがれ声となった。今坂は「頭で考えたヤジなんか、ちっとも面白うない」と選手を観察して即興のフレーズで野次にし、冒頭には「おーい、××」と選手に呼びかけるスタイルだった。「おーい門田ー。ブタマン食うか?」「おーい、ノムさんやー。藤山寛美にあんまり似とるから、本人がかわいそうやでー」といったものだった。即興の野次だったため、今坂自身は2005年のインタビューで野次の内容を覚えていないと述べている。パシフィック・リーグ在阪球団の応援団の間では野次について「下ネタは避ける」「選手のプライベートは題材にしない」などのルールがあり、対戦カードの試合後には合同で反省会を持っていた。 1978年の日本シリーズ第7戦(後楽園球場)で、ヤクルトスワローズの大杉勝男が放った本塁打の打球の判定をめぐって阪急監督・上田利治が審判に抗議した際には、今坂もスタンドで「ファウル」と連呼してヤクルトファンの客と口論から乱闘になり、2人で富坂警察署まで連行されて注意を受けて球場に戻ったところ、上田の抗議がまだ続いていたため「どないなっとんのやろか」と驚いたという。 「八二会」は今坂の記憶では「23人前後」のメンバーがおり、試合には15人程度が来ていたという。メンバーには交代もあり、全員が一貫してはいなかった。
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