酒田市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:05 UTC 版)
2006年9月13日、山形県知事の齋藤弘との間で、山形県立日本海病院と市立酒田病院の重複している医療機能の集約と質の高い医療の安定供給のため、統合再編のための協議会を設置することで合意し、2007年8月18日の会談で新病院を日本海総合病院とすることで最終合意した。11月16日には「石巻・酒田間地域連携サミット」に出席し、酒田市~宮城県石巻市間を結ぶ地域連携と道路網整備について議論。会合では「住民の命を守るため、病院の統廃合を道路整備に合わせ議論するべき」とし、また、道路特定財源制度の一般財源化に反対の立場を表明した。 2007年5月23日、1997年8月のジャスコ撤退以来、更地となっている酒田駅前の土地を「酒田市の玄関口」としての公共性を挙げ購入する方針を示した。7月6日に整備計画の概要を公表し、複合施設・バスターミナルなどを整備するための事業者を公募するとした。 2012年4月12日、新庄市・石巻市・大崎市の間で災害援助協定を締結し、災害時には救援物資の提供や職員派遣を行い被災市を援助するとした。8月20日に山形県の再生可能エネルギー政策に基き、風力発電施設を県と共に酒田市内に設置することを公表した。
※この「酒田市長」の解説は、「阿部寿一」の解説の一部です。
「酒田市長」を含む「阿部寿一」の記事については、「阿部寿一」の概要を参照ください。
- 酒田市長のページへのリンク