都市住宅を自分達の手で創る会(都住創)
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「コーポラティブハウス」の記事における「都市住宅を自分達の手で創る会(都住創)」の解説
1975 - 2002年の間に、主に大阪市中央区の谷町界隈にて累計22棟、約250戸のコーポラティブハウスを手がけた。 プロデュースと設計監理は、設計事務所ヘキサの建築家・安原秀と中筋修が担った。 当初から一貫して「都市に住む」「住居の質を高める」「共同建設をする」という考え方で共同住宅の新しいビルディングタイプを試行錯誤しながら開発し続けてきた。それらの考え方は「都心部の一番いいところに住もう。・・・子供が働いている大人の姿を見ながら育つのがいいんじゃないか」「いわゆる2DKとか3LDKとかいう言い方のお粗末な集合住宅ではなく、むしろ建築家が設計する一戸建ての住宅を縦にいっぱい積んだようなものができへんやろか」「共同で発注しましょう。10軒か20軒集まって発注すれば、何ぼかでもコストは下がるのではないか」という発言にも現れている。 設計手法としては、ルーズなジグソーパズルと語っている。「設計側が提案するいくつかのパターンに様々なニーズの形をした探知をはめこむ試行錯誤からスタートする。それを全員参加でビールを片手にゲームのように始めるのである。単位としてのニーズはその途上自ら少し変身し、全体のパターンも変形していく」 入居後のコミュニティについては「建物ができていっしょに住むようになれば、・・・住民主導になって、リーダー的な人も登場してくる。そうやってひとつの町のような組織がコーポラティブハウスの中にできてくるんです。それがコーポラティブハウスのおもしろさだと思います」 1987年、一連のコーポラティブによって、小島孜と中筋修、安原秀の連名で第39回日本建築学会賞を受賞した。
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