遠征中の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 19:36 UTC 版)
1324年の春末にゲディミナスはキエフの地に進軍した。オブチの要塞を攻略してジトーミルに向かい短期間の包囲の後にこれを陥落させた。リトアニア軍によるキエフへの侵攻の後、その通った跡は全てが“奪われて焼き払われた”。スタニスワフとその同盟者が率いるルーシ諸侯軍はジトーミルへの援軍を出さずにイルピン川付近の平野にてリトアニア軍を迎え撃った。マチェイ・ストリコフスキイは対立関係にあったドイツ騎士団の部隊がイルピン川及び早い段階におけるヴォルィーニのリトアニア軍に加わっていたと報告している。 キエフとその同盟軍は矢による攻撃で迎え撃った後に直接の戦闘を開始し、それを粘り強く続けた。ゲディミナスは自らの親衛隊とともに主力軍から離れてルーシ諸侯軍の側面に突撃して一撃を加えて隊列を崩したことによりリトアニア軍は自軍に有利になるよう敵軍の側面と中央を分離することが出来た。スタニスワフ率いるキエフ軍は後退し始め、年代記はペレヤースラウ公オレーグを含めたルーシ諸侯軍の壊滅をその苛烈な抵抗と結び付けている。敗走するルーシの親兵をリトアニア軍は«гнали, б’ючи, сікучи і беручи в полон».。スタニスワフは町を防衛することなくリャザン公国に逃走した。それにも係わらずリトアニア軍はキエフを攻撃せざるを得ず、その結果として同都市は臣従することで降伏した。キエフとの指令によりリトアニアはペレヤースラウ、プチヴリ、ヴィシュゴロド、カーネフ及びベルゴロドを獲得した。リトアニアが戦いの後にルーシの都市の征服を容易に達成できたことをイルピン川の戦いによる破滅的な結果と言う。 キエフの総督にはミンダウカス・ホルシャタイティスが任命された。
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