違法薬物生成に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:25 UTC 版)
詳細は「オウム真理教薬物密造事件」を参照 1993年12月頃、LSDが化学兵器として利用できることを文献で知った村井秀夫・中川智正からLSD製造を指示され、合成方法を調査。1994年2月末、都内ホテルで開催された教団幹部の会議で麻原彰晃から1kgの製造指示を受け、5月1日に遠藤誠一らとともに、標準サンプル数グラムを完成させた。完成したLSDを分析する際に試しに舐め、ゲラゲラ笑いだし竹刀を振り回すなどの幻覚症状を起こした。その後製造した115gのLSDは「キリストのイニシエーション」に使用された。 1994年6月頃、LSDの幻覚作用に感激した麻原に「幻覚作用のある薬物をもっと製造しろ」と命じられた村井秀夫から覚醒剤の製造指示を受ける。警察捜査が行われた場合を想定し、覚せい剤製造をしていると分からないような特殊な生成方法を考案した。7月半ば、標準サンプル製造に成功。その後227gを製造し「ルドラチャクリンのイニシエーション」に使用された。
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