運動圏の父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 08:49 UTC 版)
1970年代、80年代韓国民主化運動において、活発な言論活動や聖域を破る執筆活動から「運動圏の父」と尊称され、いまもって韓国における知識人・ジャーナリストの筆頭に挙げられている。 とりわけ、軍事政権下で言論・報道に厳しい監視を敷いていた韓国社会では知識人ですら諸外国の情報から遮断されていた。そのため、諸外国の事情に通じていた李泳禧のジャーナリストとしての活動は軍事独裁体制下の民主化運動勢力の理論的支えとなる一方、政権側にとっては大きな脅威であった。生涯に三度投獄されたが、獄中で看守についていた青年も羨望の眼差しで李泳禧に握手を求めてきたという。常に軍事政権から命を狙われる立場にあったが、諸外国に多くの友人知人を持ち、国内においても余りに著名であったため、暗殺を免れたといわれている。 李泳禧は、自らの言論人としての行動を自著のなかで「偶像に挑戦する理性の行為」と定義していた。
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