進学と研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:12 UTC 版)
1905年に女子高等師範学校に研究科が新設されると、そのただ1人の理科研究生として入学し、岩川友太郎教授の指導を受け動物学と植物学を専攻した。1905年、研究科1年のときに発表した論文「鯉のウェーベル氏器官について」は『動物学雑誌』に掲載され、日本初の女性科学者の学術論文となった。 1907年に女子高等師範学校研究科を修了し、同校の助教授として採用されると、植物の発生に研究対象を移す。その研究が東京帝国大学農学部教授の三宅驥一の目に留まり、三宅の指導を受けて植物細胞学を学ぶ機会を得る。1911年、同教授の勧めで日本人女性として初めて海外(イギリス)の学術誌『Annals of Botany』に、山椒藻の生活史に関する論文を発表した。この国際的雑誌への論文掲載は、のちの米国留学に際して、日本で大学を卒業していない彼女が、大学院生という身分で研究できる条件を得るのに大きな助けとなった。
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