進学にまつわるエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:26 UTC 版)
中学校の上級生ころから高等学校へ入学するころは、哲学に興味を持ち多くの本を読んでいたため、先輩から将来は哲学者になったらどうかとすすめられていた。 父は法律を学び当時裁判所の判事をしていたため、できるなら法律を学ぶようにすすめていたが、それを強いることはなく、本人の意思を尊重した。 数学や物理化学がわりに得意だったことと、英語が不得手だったため高等学校ではドイツ語を専攻したが、そのころドイツ語を選んだ生徒は医学部を志望する人がほとんどだったなど、様々な理由から東大の医学部に願書を提出した。ところが卒業する頃になって人体解剖を思い出し、医科に入学願書を提出してしまったことを非常に後悔し、おそるおそる高校の校長や教頭に落第を歎願する。当初は「落第は許さぬ、どうしても卒業させる」といわれるが、それでも熱心に頼み込んだところ、教頭から歎願書に「格別の詮議」という文句を入れてくれとの要望があったので提出し、受理される。 格別の詮議でようやく落第を許してもらい、三年生を二回やり、工学へ進む科目の勉強をする。ところが翌年の入学試験を受ける段になって、ひどい感冒にかかり、試験は受けるが望みは達せられなかった。 ぼんやりしているわけにもいかないので、その年は駒場の農科(東京帝国大学農学部)に籍をおき、その翌年、工科の電気を受け直した。 このことを本人は、「文・法・理・医・農・工とあらゆる科目にふれて、廻ってきたのが電気である。いくら廻り道をしたにもせよ、これは私に幸いしているとそう考えている。」と『随筆集「ひとりの心」』(1968年) に書いている。
※この「進学にまつわるエピソード」の解説は、「篠原登」の解説の一部です。
「進学にまつわるエピソード」を含む「篠原登」の記事については、「篠原登」の概要を参照ください。
- 進学にまつわるエピソードのページへのリンク