週6日制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 05:31 UTC 版)
1933年のソビエト連邦カレンダー。グレゴリオ暦の中で、週6日制のソビエト連邦暦による休息日(第6日)が水色で、祝日が赤色で塗られている。ここでは3月1日が休息日扱いとなっている。 1939年のソビエト連邦カレンダー。グレゴリオ暦の表記はなく、「第1日」から「第6日」が並べられ、各月の31日はその枠外に置かれている。憲法記念日の12月5日が祝日(赤色)に追加されている。 1931年夏、ソビエト政府はスターリンの指示に基づいてソビエト連邦暦に週6日制を導入し、公式には12月1日からこの改定が実施された。これは毎月第6日、第12日、第18日、第24日、第30日を国民共通の休息日とし、週5日制で問題となっていた家庭内の休日統一や工場機械の休止を実施する暦だった。第31日は労働日とされ、工場などは稼働したが、一部の商店や政府機関では休日となった。また、2月には30日がないため、3月1日が休日とされたが、一部の工場では2月25日から3月5日まで9日間(閏年だった1932年、1936年、1940年は10日間)連続の労働日となった。 曜日の名称は「第1日」から「第6日」と単純化され、31日は何曜日でもない一日となった。休日は週5日制のものが踏襲され、1936年にはソビエト憲法(スターリン憲法)が制定された12月5日が追加された。 この6日周期の週は、7日周期の週より休日が多かったにもかかわらず、依然、不評だった。ソ連の工場では、週6日制の(改定)ソビエト連邦暦で休日を設定する所と、従来のグレゴリオ暦による休日を設定する所が混在していた。この週6日制は10年続けられたが、ソ連政府は最終的にソビエト連邦暦の廃棄を決定し、1940年に、グレゴリオ暦による週7日制の曜日へと一本化された。
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