近江土肥氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 23:25 UTC 版)
鎌倉幕府より近江箕浦庄を与えられ室町時代には奉公衆(外様衆)として足利将軍家に直属した土肥氏があった。番場城や鎌刃城を築き交通の要衝であった近江番場周辺を守ったといわれている。 1336年(延元3年)に土肥六郎兵衛尉心光が足利尊氏の命により、近江国の箕浦谷に蔓延る野武士を平定する。その功によって箕浦庄を与えられ、醒井を拠点として室町時代前期に渡り安定した領土経営を行った。戦国時代への転換期に入ると京極氏に領土を脅かされるようになり、拠点を山間地の枝折へ移して戦国期の動乱を乗り切った。しかし、関ヶ原の合戦で西軍に与したことから、当代の土肥六郎兵衛は土地資産や記録文書の全てを寺社に寄進し、鳥取に落ち延びて近江土肥氏は消滅した。
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