近江国伊香郡柳ケ瀬村・柳ケ瀬家系譜
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「椿井文書」の記事における「近江国伊香郡柳ケ瀬村・柳ケ瀬家系譜」の解説
馬部は小林凱之所蔵椿井権之助政隆著「椿井系図」を元に、近江国伊香郡柳ケ瀬村の柳ケ瀬家系譜の、神亀元年(724年)大和国椿井懐房が伊香郡で大蛇退治をして地名を椿井と名付け、子孫の椿井秀行が山賊扱いをされ伊香郡柳ケ瀬村へ移住し柳ケ瀬氏を名乗り、後継ぎが絶え山城国の椿井家から行政が後継ぎに来たという伝承は椿井政隆の椿井文書であるとしたが、「諸系譜」にも神亀元年(724年)椿井右中将懐房が淡海伊香の大蛇を退治し、藤原房前の養子となり藤原の平群となったと記載されている。「諸系譜」では椿井政隆は「寛政重脩諸家譜」の藤原家支流内藤定房(初 政定)に該当する椿井三河政定の末裔として書かれている。内藤定房は「寛政重修諸家譜」では永禄11年(1568年)9月 近江国伊香郡の数十邑をあたえられ、山城国相楽郡椿井村にはその子孫が連綿として住んでいると書かれている。
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