近代・現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 08:24 UTC 版)
維新後、二ノ丸御殿に胆沢県庁がおかれ、後藤新平や斎藤実、山崎為徳が給仕として採用されている。明治25年(1892年)7月留守家に縁故払下がなされ役場、学校、病院等が置かれ、一部民間に払い下げとなった。 戦後、水沢町の財政難によりその殆どが民間に払い下げられ住宅地となり城の遺構が消滅。現在三ノ丸の一部は県南広域振興局・奥州市役所本庁となっている。 民間に払い下げられたと思われる水沢城の御殿や蔵の一部は、住宅や蔵として転用され現在も市内に残っている。 現在、城の面影を残す遺構は本丸にあったとされる和光稲荷の花梨と、三ノ丸の土塁一部と、その上に推定樹齢500年の杉が市役所前にあり、「姥杉」として町のシンボルとなっている。
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