近世大名・片桐氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:48 UTC 版)
片桐氏からは、片桐且元とその弟片桐貞隆が出た。且元の子孫は「為」の通字をつけている。豊臣秀吉に仕えた且元は賤ヶ岳の七本槍の一人として名を挙げた後、豊臣家の奉行人として活躍、関ヶ原の戦いの後は豊臣秀頼の傅役・家老を務めた。且元は豊臣家から2万石の所領を受ける一方で、徳川家から大和国竜田などに所領を受け、江戸幕府と豊臣家の両者から扶持を受ける特殊な家であった。しかし大坂冬の陣の開戦直前に、貞隆とともに大坂城を退去している。 且元の家は4代為次の代で無嗣改易となり、為次の弟が旗本となったが、この家も間もなく絶えている。貞隆の家は大和国小泉藩を代々継ぎ、明治に至って華族となり、子爵に叙された。貞隆の子片桐貞昌は茶道石州流の祖となり、以降の当主は石州流宗匠も勤めている。貞昌の弟片桐貞晴は分家し、旗本として家名を残した。
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