近世の松浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:13 UTC 版)
江戸時代には大隅国大隅郡桜島郷(外城)のうちであった。村高は「天保郷帳」では50石余、「郡村高辻帳」では50石余、「三州御治世要覧」では61石余、「旧高旧領取調帳」では67石余であった。 安永8年(1779年)10月1日に発生した桜島の安永大噴火の際には松浦村の住民は鹿児島城下へ避難した。また、御嶽龍王権現社は桜島の九合目に位置していたが現在地に遷宮したとされる。 江戸時代の中期ごろまでは二俣も松浦村のうちであったとされ、文政7年(1824年)に伊能忠敬による桜島の測量が行われ、二俣(現在の桜島二俣町)は松浦のうちと記されており、薩摩藩の地誌である「三国名勝図会」にも二俣村は松浦村の支村であったと記されている。
※この「近世の松浦」の解説は、「桜島松浦町」の解説の一部です。
「近世の松浦」を含む「桜島松浦町」の記事については、「桜島松浦町」の概要を参照ください。
- 近世の松浦のページへのリンク